地域の連携で発展した中世のビジネスとロジスティクス
今回から数回にわたって、日本中世の商業と物流を取り上げます。中世は土地と農業を基盤とする古代型経済に、商工業の発展が加わり、今の日本の経済・社会の原型が形成された時代です。初回は寺院や神社を基盤にした中世型経済のビジネスモデルにスポットを当てます。
古代の国家経済から中世の社会経済へ
中世とは日本の場合、鎌倉・室町時代を指します。それ以前の古墳時代後期・飛鳥時代から奈良・平安時代までが古代です。
中世と古代の違いは色々ありますが、政治的には天皇・貴族の朝廷による統治から、武士の幕府による統治へと移行したことがあげられます。
ただ、どちらも統治・管理の対象は農民・農地であり、そこで生産されるコメだったという点は同じで、統治の主体が朝廷から幕府に変わっただけとも言えます。
もうひとつ、中世に起きた大きな変化は、多種多様な製品が製造され、流通するようになったこと。つまり商工業による経済発展です。こちらは鎌倉時代から室町時代へと時代が進むにつれて、商品の種類も製造・販売の規模もどんどん拡大していきました。
そこでは商工業だけでなく、物流を担う勢力も大きな役割を果たすようになりました。
古代にも物流は存在していましたが、地方から朝廷へと運ばれる租税としてのコメの輸送や、新しい都の建設、大寺院の建立、地方の国府・国分寺の造営など、国家プロジェクトのための物資の輸送が主でした。つまり国家が主導する経済のための物流だったと言えます。
しかし中世に入ると、農地の開墾や農機具の進化による農業生産の拡大が進み、鉄製の農機具をはじめ、庶民の生活用品や食品など、様々な製品が盛んに作られ、販売されるようになります。
これによって、経済が国家のものから社会的なものへと広がったと言えるでしょう。
寺院や神社と結びついた商業
中世の記録を見ると、商人たちが大きな寺院や神社に所属して活動していたことがわかります。
彼らは寺や神社に物品を奉納し、行事に参加することで、単なる信徒ではなく、一種の運営スタッフとしての地位を確保すると同時に、「座」と呼ばれる商業ギルドのメンバーとして活動する権利を与えられていました。
「座」はスキ・クワなどの農機具や、器などの日用品、照明用の油、食用の油、菓子など、商品ごとに細かく分かれていました。「座」に所属することで、商人は信用を保証され、資金調達や職人の工房による製品の製造、商品の販売などを行うことができました。
たとえば鎌倉末期には、奈良・興福寺一乗院の「座」に所属する商人が、和泉(今の大阪南部)の貸金業者から260貫文を調達し、鍛冶職人の工房に発注してクワを製造させ、関東から信州など地方へ販売したといった、記録が残っています。
宗教的権威による信用とビジネス
中世の260貫文は、現代のお金に換算すると1000万円以上になると言いますから、当時としてはかなり大きなビジネスです。
資金の調達先である和泉の貸金業者はおそらく堺の商人でしょう。堺や九州の博多には、中国との貿易や瀬戸内海の交易などで活躍し、資金を蓄えた商人が、金融業を行っていました。
堺周辺は古代から鉄製品の製造が盛んでしたから、クワの刃の部分の製造を請け負ったのも、この地域の鍛冶工房だったかもしれません。
金融業者から資金を調達でき、鍛冶工房に製造を依頼できたのも、この商人が興福寺一乗院という、信頼できる大手寺院の「座」ギルドに所属していたからです。
中世にはまだ商業という仕組み自体の信用力が弱く、商人たちは同業組合である「座」に所属し、寺院や神社の一部として活動することで、信用力を確保していました。
お金が絡むビジネスでは、取引に伴うもめごとが発生することもありますが、そうした場合、「座」が所属している寺院や神社が裁定を下すといったこともありました。
そもそも寺院や神社は神仏が支配する神聖な場所であり、そこでは取引で騙したり不正を行ったりすると罰が下されると当時の人は信じていました。その意味でも、寺院や神社は商いをするのに相応しい、安全で信用できる場所/機関だったわけです。
絵巻物に出てくる商人の商品輸送
ところで、「座」の商人たちが製造販売していた商品は、どのように運ばれたのでしょうか。
クワは鋼鉄製の刃を木の柄に装着して使用しますが、柄に取り付けた状態だとかさばって、運ぶのに非効率ですから、おそらく刃の部分だけを運び、販売したのでしょう。事実、鎌倉時代の絵巻物には、クワの刃の部分を重ねて運ぶ商人を描いたものがあります。
重い商品を馬や牛に乗せて運んでいる絵もありますが、人が天秤棒の両側に商品を下げて運んでいる絵もあります。鎌倉時代の製造販売ビジネスは、商人が個人の裁量で行う小規模なものでした。
租税としてのコメの流通は、大量輸送が必要なので、「問い」と呼ばれる専門の流通業者が、船などの輸送手段を使って運んでいましたが、商人が製造販売する商品は多くの場合、商人自身か親族など信用できる人物が、自分で運んで売り歩いていました。
小規模輸送から大規模輸送へ
こうした小規模な輸送で心配なのは、盗賊に襲われて商品を奪われてしまうことですが、商人たちは防衛手段として護衛を雇ったようです。絵巻物には、荷物を担ぐ商人の前を、弓矢を持った狩人らしい護衛が先導している様子を描いたものがあります。
先に紹介したクワの製造販売プロジェクトでも、工房に発注して製造させたクワの刃はかなりの数だったでしょうが、販売は1人で運べる程度の数量に分けて、各地へ売りに出かけたのかもしれません。
室町時代になると商業の規模が拡大して、専門の輸送業者が活躍するようになります。海や川など水路は水運業者が船で運び、陸路でも人足や馬、牛が引く荷車などが隊列を組んで、大量に輸送したことが記録されています。
広がる「座」の販売ネットワーク
このように鎌倉時代には、商品の企画から販売まで手がける商人と、実際の製造を担う職人、資金を提供する金融業者のネットワークが存在していましたが、室町時代に入ると、このビジネスモデルはより組織的になり、規模も飛躍的に拡大していきます。
寺院や神社に属していた多くの「座」から、特定の商品に特化した「座」が発展し、原料調達から製造、販売を、組織としてトータルに手がけるものも出現しました。
代表的なのは京都の南部にある大山崎八幡宮の油座です。この油座は、朝廷・幕府の認可を得て、近畿地方のエゴマ油販売をほぼ独占していました。
エゴマはいわゆるゴマではなく、シソ科の植物で、その種からとった油は、芯を浸して火を灯す照明用の油として使われていました。個人の家から城、役所、寺院・神社まで、どこでも毎日使うものですから、大量に消費されます。これを特に経済が発展していた近畿地方でほぼ独占的に販売できたわけですから、かなり大きなビジネスです。
最盛期には近江(今の滋賀県)を越えて、美濃(今の岐阜県南部)まで販路を拡大していたと見られています。
貨幣経済の発展と多角的ビジネスの出現
この大山崎八幡宮の油座で注目されるのは、販売だけでなく、原料調達から油の圧搾製造、販売まで、トータルにビジネスを展開していたことです。
原料となるエゴマの種子は、当時主要な生産地だった中国・四国地方の瀬戸内海沿岸に調達先を開拓。大量に買い付けて京へ運んでいました。運ばれたエゴマは京で加工され、各地へ販売されました。
このビジネスを展開していたのは、京の富裕な商人たちです。室町時代には貨幣経済が発達し、商人たちは鎌倉時代より自由にビジネスを行うことができました。
特に大きな利益を生んだのは、製造業では酒で、先進都市だった京では、酒造業で財を成した商人が次々誕生しました。彼らはその資金を使って、調度品など家財道具を担保にお金を貸す質屋的な金融業を営んだといいます。
権威を主体的に活用したビジネスモデル
こうした個々のビジネスで資本を蓄えた京の商人たちが、さらにスケールアップした新たな大規模ビジネスとして企画したのが、近畿地方におけるエゴマ油の独占販売でした。
彼らは大山崎八幡宮の神人(じにん)つまり神社の民間スタッフとして八幡宮に寄進をしたり、祭祀などの行事に奉仕したりしていた点は、鎌倉時代の興福寺一乗院の「座」で商売をしていた商人たちと同じですが、八幡宮の権威を利用して幕府や朝廷を動かし、その権威によってエゴマ油を独占的に製造販売するというビジネスモデルを作り出しました。
大山崎八幡宮のそばには、近畿における八幡宮の本宮である石清水八幡宮があります。八幡宮の総本宮は九州北部の宇佐にありますが、武力を司る神社として、朝廷にとっても、幕府・武士にとっても、絶大な権威を持っていました。
商人たちは、エゴマ油プロジェクトで見込まれる莫大な利益をエサに、まず大山崎八幡宮を説得し、大山崎を通じて石清水八幡宮を動かし、朝廷と幕府に働きかけて、近畿地方におけるエゴマ油の独占権を獲得したと言われています。
鎌倉時代の商人が寺院・神社の庇護下で個々にビジネスを行っていたのに対し、大山崎八幡宮の油座は、八幡宮という宗教的権威だけでなく、朝廷や幕府という政治的権力もマネーの魅力で説得し、大スケールの企業体によるビジネスを創造したわけで、そこにビジネスモデルとしての新しさがありました。
中世商人のしたたかさ
日本の中世の商業についてよく言われるのは、この時代には寺院や神社など宗教勢力が「座」で商業を支配していて、商人はその仕組みに隷属する弱い存在だった。戦国時代になって、織田信長のような戦国大名が楽市楽座を実施して、商業を宗教の支配から解放したといったことです。
たしかに商業が未発達だった時代ですから、商人たちは宗教的権威に依存して商売する弱い存在だったと見ることもできます。
しかし、寺院・神社の「座」は、すでに紹介したように、商人たちが信用力を獲得するための仕組みであり、彼らはそれによって自分たちが企画した製造販売プロジェクトを実行することができました。
つまり「座」は、商人たちが宗教的権威を利用する手段でもあったということです。
室町時代に入ると、その中からより主体的に宗教的権威を動かして朝廷・幕府という政治的権威のお墨付きを獲得し、大がかりな独占ビジネスを展開する商人の集団が出現しました。
これも、商人たちが単なる弱者ではなく、権威を利用してビジネスを創造するしたたかな勢力だったことを物語っています。
安定した中央集権国家が存在しなかった中世
元々日本は古代から、中国や朝鮮半島に比べて中央集権国家の確立が遅れ、宗教的権威と武力による部族連合的な支配が6世紀まで続いた国です。
6世紀末から約1世紀かけて、中国・朝鮮半島から仏教や当時の先端技術、統治システムを輸入し、当時の「近代化」をはかり、できあがったのが7世紀末から8世紀の律令国家でした。
そこから平安時代の半ばまで、原則的に全国の農地と農民を国が支配・管理する体制が続きましたが、お手本だった中国・唐の衰退と共に、日本の国家体制も弱体化。農地の多くは大貴族や大寺院・神社などの私有地である荘園に変わりました。
これを古墳時代・飛鳥時代の部族連合的な利益分配型支配の復活と見ることもできます。
権力者が自分たちの利益分配しか考えなくなると、国家の機能も弱体化します。そこから農地を自分たちで守る自警団としての武士勢力が生まれました。
そして武士による抗争の時代を経て、武家政権である鎌倉幕府が誕生しますが、幕府は武士の農地支配権を保証はしても、奈良時代のような中央集権的国家体制は確立できず、武士階級内で利益を分配する親分子分的な部族連合体制ができあがっただけでした。
不安定な国家で生き抜くビジネスマンの知恵
こうした国家的な経済運営やそのためのインフラが未成熟な状態でも、モノのニーズはありますし、武力抗争や農地開発で、武器や武具、農機具などの需要が拡大したことから、商工業が発展していきました。
この流れに乗って商売をする商人や職人たちが、大寺院や神社の権威に依存した「座」という仕組みを作ったのは、経済秩序が曖昧な世の中で、自分たちの権益や信用、商取引の秩序を守るためでした。
そして、室町時代に入ると、南北朝の動乱や、将軍の座をめぐる権力闘争など、不安定な状況が続いた一方で、貨幣経済が発展し、商人たちも宗教的権威や政治的権威を利用しながら、鎌倉時代より自由に独自のビジネスを展開するようになりました。
経済の秩序が十分機能しない状況下で、ビジネスを発展させていった、中世商人たちのしたたかな知恵や行動力は、21世紀の私たちにも、世界秩序が大きく揺れる時代を生き抜くヒントを与えてくれているのかもしれません。

