領土拡大から経済・社会の発展にシフトして実現した帝国の全盛期
ローマはカエサルが大胆な改革で大帝国の基礎を築き、初代皇帝アウグストゥスによって平和と繁栄の時代を迎えます。ローマ帝国はインフラ・ネットワークを充実させながら、経済・社会・行政・文化を発展・成熟させていきます。ローマシリーズ第6回は、この空前の繁栄がどのように実現されたのかについて考えます。
パクス・ロマーナ
ローマが全盛期を迎えるのは、貴族・エリート層による共和政から、帝国を一人の皇帝が統治する帝政への転換が行われ、この改革が成功した時期とされています。
終身独裁官として共和政から帝政への転換を進めたユリウス・カエサルは、改革事業の半ばで暗殺されますが、改革を引き継いだ初代皇帝アウグストゥスによる統治で帝国の基礎が確立されました。周辺地域への派兵や皇帝の座をめぐる混乱はあったものの、帝国はそれまでの戦争続きだった時代に比べれば、平和な繁栄の時代を約200年にわたって謳歌しました。
この時代の平和はパクス・ロマーナ、「ローマによる平和」と呼ばれ、歴史上まれな長く安定した統治と、空前の繁栄を実現したローマの全盛期と評価されています。
平和と繁栄を可能にしたもの
なぜそんな平和と繁栄が可能だったのか、簡単に語ることはできませんが、重要なポイントをいくつかあげることはできます。
まず、これまで語ってきたように、ローマは先輩のギリシャなどから国家の仕組みや運営方法について学びながら、それ以前の古代国家のあり方を超える仕組みと運営方法を作り出したことです。
たとえば国家のあり方を、ペルシャのような武力で周辺国を征服し支配する大国型ではなく、ギリシャのような都市国家を増殖させていく独立多店舗展開でもなく、周辺の国や地域を平定しては、仲間として同化しながら統治していく、チェーンストア型へと進化させたのもそのひとつです。
ローマは拡大する連合の領土に、街道などの社会インフラ・ネットワークを構築していくことで、軍事力と領土、経済の発展を一体化し、継続的に進めることができました。
このシステマチックな成長・拡大は、何百年という長い時間をかけて積み重ねられてきたものですから、他の国が後からそれを真似ようとしてできるものではありません。
ローマがカルタゴやマケドニアとの戦争に勝って、地中海一の強国になったとき、軍事的にも経済的にも政治的にもローマと争える国はありませんでした。
領土拡大から経済・社会の発展へ
もうひとつ、ローマ帝国が繁栄を実現できた理由として考えられるのは、帝国としての基盤が確立された時点で、領土拡大による成長から、獲得した領土内での社会・経済・文化の発展へ、重点がシフトしたことです。
軍事・政治・経済的に無敵でも、それまでと同様に国境を接する国や民族と戦いながら領土拡大を続けていたら、戦線が広がりすぎて無理が生じていたでしょう。
パクス・ロマーナの時代にも、ブリタニア(今のイギリス)やダキア(今のルーマニアなど)で多少の領土拡大は行われていますが、大帝国の領土に比べれば、それほどの規模ではありません。
領土拡大の戦争を控え目にして、国境線の守備を固め、帝国内で街道などのインフラ網や都市の建設・充実を、重点的に行うようになったことで、平和な時代になり、経済・社会・文化の発展による繁栄が可能になったと言えるでしょう。
新しいフロンティア
元々古代の国家は、農業が主要産業だったため、国力の拡大には領土の拡大が必要でした。だから多くの国が当然のように戦争をしていました。
このやり方では、領土の拡大を止めれば、主要産業である農業の生産高が頭打ちになり、経済成長も止まってしまいます。
しかし、ローマでは農業に加えて、鉱山業や商工業を飛躍的に発展させたため、領土拡大が終わっても、社会・経済の成長・発展を続けることができました。
元々農業主体だった古代の産業構造に変革をもたらし、鉱山業や商工業に活路を見出したのはギリシャ人ですが、ギリシャの場合、産業振興が独立型の都市国家単位で行われたため、経済成長には限界がありました。
これに対してローマは、街道や都市などのインフラを整備し、ネットワークを構築することで、連邦型国家の拡大による経済の飛躍的な成長を実現することができました。
帝政に移行した時点では、新しく加わった広大な領土のインフラ整備や産業振興は、まだこれからという状態でしたから、平和が訪れたことで経済成長が加速し、空前の繁栄が可能になったのです。
ローマは領土的なフロンティア開拓から、産業振興という新たなフロンティアの開拓にシフトすることで、それまでの古代国家にはなかった新しい繁栄を実現することができたと言ってもいいでしょう。
なぜ共和政ではなく帝政だったのか?
しかし、共和政から帝政への転換と、領土拡大から経済・社会の成長・発展への転換が、セットで行われたのはなぜでしょう?
社会インフラのネットワーク構築・拡大は何百年も共和政によって進められてきたわけですから、領土拡大による成長が終わっても、共和政で新しいステージに移行することはできたのではないかという気もします。
しかし、ここで思い出されるのは、ポエニ戦争の後、多くのローマ市民が土地や資産を失い、路頭に迷っているのに、共和政を主導してきた貴族・経済エリート層が特権階級化し、ローマが領土拡大で得た権益を囲い込んだこと、そして民衆の利益を守る改革を潰したことです。
100年以上続いた元老院派と民衆派の抗争は、元老院による統治が以前のように機能しなくなり、ローマが閉塞状態に陥ったこと、もっと公共の利益になる新しい政体を必要としていたことを物語っています。
抗争は民衆派であるカエサルの勝利に終わり、終身独裁官になった彼の強力なリーダーシップで、より民衆の利益、公共の利益になるシステムへの転換が行われました。大胆な改革にはそうした絶対的な権限が必要だったと言えるかもしれません。
改革の途中で暗殺されたカエサルのビジョンを引き継いで、皇帝アウグストゥスが実現した統治体制は、皇帝が統治したという意味で「帝政」と呼ばれますが、それは絶対君主による独裁ではありません。その本質は、それまでの特権階級による共和政よりも多くの人々に開かれた、ユニバーサルな政治体制でした。
ユニバーサルな帝国
カエサルとアウグストゥスが進めた改革には、格差是正・平等化の推進、法制の公正化や情報公開による政治の透明化などがあります。
特に政治的・社会的権利をローマ市民に平等に与えるユニバーサル化が、行政・司法など様々な分野で進められました。
さらに属州民もローマ市民になれるとか、属州のローマ市民も元老院議員になれる、属州にもローマ型自治体による統治を認めるなど、帝国全体でのローマ市民権の拡大や、ローマ的統治システムのユニバーサル化も行われました。
属州の代表者たちは元老院の議席を与えられたことで、形式的にせよローマ帝国の行政に参画することができるようになりました。
このユニバーサル化はローマ化が進んだ属州から段階を踏んで行われ、すべての属州にローマ市民権が行き渡るのはかなり後の時代になりますが、帝国がユニバーサルな統治を行う機構であるというビジョンは、カエサルとアウグストゥスによる改革からすでに存在していました。
奴隷もローマ市民になれる
また、ローマでは以前から、奴隷も家や農園の使用人、あるいは教師など知的職業人として働いて稼ぐことができ、金を主人に支払うことで自由になることもできたのですが、カエサル以後のローマでは、自由になった解放奴隷もローマ市民権を獲得することができるようになりました。
ローマの奴隷には戦争で敗者になったギリシャ人が多かったため、元々知的レベルが高く、ビジネスの才覚がある人たちがたくさんいたと言われています。彼らは弁護士や教育者、ビジネスマンとして、社会・経済の発展に大きな役割を果たしました。
都市インフラと社会制度を帝国中に広げる
帝国内では、新しい属州にも首都ローマやイタリア半島同様のシステムを普及させるというビジョンの下、街道や上下水道、劇場、競技場、公衆浴場、図書館など、ローマ式社会インフラや、社会福祉制度、教育制度が帝国の隅々まで広がり、産業の振興を促し、経済的・社会的繁栄が実現していきました。
帝国内のあらゆる人や地域に公平で開かれたシステムとサービスを提供すること。それが共和政から帝政へと移行したローマの新たなビジョンでした。
私たちが経験しているような、近代的な民主国家ではなかったものの、ローマ帝国は古代では革命的と言っていいほど、新しい国家だったのです。
ローマ的社会性、公共性と皇帝
ただ、その新しさが当時のローマ人にどれだけ理解されていたかは疑問です。
今の私たちから見れば、元々民衆派だったカエサルが、ローマの広大な地域とそこに生きる人々をより豊かにするために、独裁的な権力を握って特権階級の既得権益を解体し、より公共性の高い社会システムを構築しようとしたことがわかります。
しかし、古代では近代の社会とか公共性といった概念はまだ一般に定着していませんでした。カエサルを支持する一般市民の多くは、彼のことを自分たちの利益や権利を尊重してくれる寛容な君主のように見ていたかもしれません。
反対派である元老院派の中には、カエサルが王になろうとしていると疑う人たちが相当数いたため、彼は暗殺されたのですが、民衆の支持者にも彼を君主のように崇めたり慕ったりする人たちが少なくありませんでした。
合意形成に配慮する皇帝
カエサルの暗殺から学習したアウグストゥスは、内乱を経て権力を確立した後も、公式には共和政復活をうたい、議会である元老院から与えられた役職を果たすリーダーとして振る舞いました。
彼は軍の絶対的指揮権を有する最高司令官「インペラトール」や、ローマ市民の最高責任者、元首を意味する第一人者「プリンケプス」、護民官特権「トリブニチア・ポテスタス」、最高神祇官「ポンティフェクス・マキシムス」など、色々な役職・職権・称号を持っていましたが、それらは形式的にせよ、元老院から与えられたものでした。
このうちインペラトールが、後に英語のエンペラー、つまり皇帝の語源になるのですが、アウグストゥス自身はこれらすべての役職・職権を合わせることで、実質的な権力を行使していたのです。
彼は内閣に相当する機関を設置して、行政の効率化をはかるようになりましたが、何をするにも元老院の了解を得ることを忘れなかったといいます。
アウグストゥスが決めれば、元老院はそれを追認したので、あくまで形式的なものでしたが、それでもそういう形式を踏むことで、元老院の反感や不満の蓄積は回避され、平和と繁栄の時代が続くことになったのです。
帝国のコンセンサス
ローマは王政の時代から市民集会によって王が選ばれ、諮問機関としての元老院がコンサルティングを行っていました。
王政が共和政になり、王が1年任期の執政官に変わっても、市民集会で選ばれることに変わりはありませんでしたし、元老院は執政官だけでなく、法務官や会計検査官、財務官など、政府高官を輩出する人材のプールでした。
国のリーダーが何かを決めるときは、元老院に法案を提出し、議論を尽くして決めるのがローマの政治システムでした。
帝政に移行しても、法や合意形成の重要性は変わりません。
ただ、帝国は巨大化し、政治的慣習、宗教、文化が異なる多様な地域の人々を動かしていかなければならないわけですから、首都ローマにいる政治家たちの合意形成だけでなく、帝国全体の指導層の合意、納得が必要です。
帝政はグローバル化したローマが、ユニバーサルな合意形成によって、巨大化したエリアに価値を提供していくためのシステムでした。
その意味で、共和政から帝政への移行も、ローマが成長・拡大の原動力としてきた、平定した国と人々を仲間として迎え入れるという伝統を、グローバルに実践するために必要な転換だったと言えるかもしれません。
グローバルなプラットフォーム
帝国の基盤にあるのは、ローマが共和政の時代から構築し、洗練させてきた法による統治システムであり、人・モノ・情報のロジスティクス・ネットワークでした。
パクス・ロマーナの繁栄は、この統治システムとロジスティクス・ネットワークを、グローバルに展開することで実現されたと言えるでしょう。
企業で言うと、ナショナルブランド企業から多国籍なグローバル企業へ進化・発展していくときの展開に成功したということです。
この転換では、市場もユーザーも一気に拡大し、多様化します。従業員も多国籍化し、人数も拡大します。
新しい体制が様々な国の市場・ユーザー、そして従業員に価値を提供し、その価値が受け入れられることで、グローバル化は成功します。
特に人・モノ・情報を最適なかたちで供給するロジスティクス・プラットフォームは、グローバル化の成否を決定する最も重要な基盤です。
グローバル帝国になったローマは、今のグローバル・ビジネスに最も重要なものが何なのかを、私たちに教えてくれているのかもしれません。

